アンプをONKYO INTEC A-922Mから、DENON PMA-2000IIへと変えたのが、1999年9月のこと。
1999年6月に、CDプレーやをONKYO INTEC C-722MからDENON DCD-1650ARへと変更して、3ヶ月後のことでした。
当時ステレオ誌などではPMA-2000IIとDCD-1650ARが入門機のベストバイとして高く評価されていて、亭主自身この組み合わせを聞いてみたかった、ということもあるのですが、先行して導入していた1650ARにブランドをそろえ、また見た目をそろえたかった、いういささか不純な動機のほうが大きかったような気がします。
もちろん同価格帯の他社製アンプと比較視聴し、納得した上での購入。ただPMA-2000IIを使っていた期間はわずか14ヶ月、その後茨城オーディオ 12V6 p.p.真空管アンプを導入し、PMA-2000IIはその10ヵ月後にハードオフに売却してしまいました。
PMA-2000IIの魅力は、なんといってもその豊かな低域にありました。ベストバイにて評価されるように他社の製品を圧倒する重心の低さ、オーディオをより楽しむための音作りがなされていて、亭主自身このアンプを導入した際には、それまで使っていたINTECとは別次元の、いわゆる「オーディオの音」がしたのには驚きました。
ただ、その喜びが続いた期間は残念ながら長くありませんでした。
12V6 p.p.真空管アンプの低域の豊かさ、懐の深さに魅了された結果、PMA-2000IIの魅力が相対的に低下し、しばらくはアナログ用のアンプとして使っていたものの結果的に売却となったわけです。
オーディオとは、終わりのない(いやお金が尽きたときが終わりともいえますが)勝ち抜き合戦である、と信じていた時期がありました。PMA-2000IIは勝ち抜き合戦に残れなかったアンプだと思っていた頃は、より深い低域を、より解像度の高い高域を求めて、さまざまな機器やアクセサリをとっかえひっかえしていました。それが楽しかったし、オーディオの醍醐味であると思っていました。
ただ、深い低域、解像度の高い高域を求め続けた結果、なにか大事なものを見落としていたのもまた事実。ここにいたるまでにはさらなる紆余曲折があり、それについてはまた次の機会としたいのですが、亭主にとって「勝ち抜き合戦」を始めるきっかけとなったアンプがPMA-2000IIだったのですね。
オーディオへの探求がここで終わらなかった、という点では手放して正解だったのかもしれません。
ただ、いまあらためて思い返してみると、置く場所があったのなら、たとえばリビングなどで小型スピーカを鳴らして気軽に音楽楽しむ、という応用はありだったのかもしれませんね。
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