その「場所」は、その「場所」に暮らしている人のためにあるのであって、かつてその「場所」に暮らしていた人の、思い出のためにあるのではない。
そう思いつつその「場所」に行くと必ずかつて暮らしていた風景を追い求めてしまうのは、亭主だけではないと思います。
亭主自身は実家から、松本、浦和、野田、日立、そしてひたちなかへと居を移し、ふたたび日立へと移り住み現在に至っています。松本に1年、浦和に2年、野田に4年、最初の日立には・・・えーと9年、ひたちなかに6年、そして現在の日立。期間はさまざまですが、その土地土地に思い出と思い入れがあって、いまでも楽しい記憶がよみがえってきます(つらいことは全部忘れました。いやホントに忘れました。性分のようです)。
かつては暮らしていた場所を友人らとおもに訪れて、楽しかった思い出に浸ることもありました。訪れるたびに変わっていく風景に寂しさを感じつつ、この場所はもはや自分たちの場所ではないことをしみじみ感じるわけです。
今まさに暮らしている人は、大きな食料品店や、安いドラッグストアや、最新の医療機関やその他いろいろを欲しているわけで、かつての住民がなんと感じようが、大きなスーパーや便利なバイパス道路ができようが関係のない話なんですよね。
私たちはかつて住んでいた場所に対して、徹底的な傍観者になるしかない。
変化が耐えられないのならば、いっそ再び訪れないほうが幸せかも知れません。
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