久しぶりにAudio AlchemyのDigital Decoding Engine v2.0を押入れから出してきて、メインシステムにつないでみた。DDEは以前にネットのお友達だったてんどんさんにオススメされたもの。正確にはv3.0をオススメされたのだが、地元のハードオフで偶然見かけたのがv2.0だった。
Accuphase DP-55VのDigital Outから同軸でDDEv2.0に入力し、Analog OutからRCAケーブルでOrpheus Twoに入力する。
はたして出てきた音は、以前聴いたのと全く同じ、高域の曇ったローファイな音だった。
亭主はてんどんさんに「雰囲気の良いDAC」をオススメしてもらったつもりだった。はて、雰囲気が良いとはどういうことだったのだろうかと、今改めて考えてみるが、具体的にどんな音が「雰囲気の良い」音なのかを的確に説明することができない。DDE v2.0とDP-55VのDACとを切り替えてみると、DP-55Vの音は極めてクリアで、まるで雲の切れ目から青空が覗いたように、さあっと視界が晴れる。世の音が、なべてハイファイに向かっていることは疑いようのない事実で、亭主もまたv2.0のどんよりした曇り空のような音よりも、DP-55Vのクリアで透明度の高い音のほうが好みである。本当にハイファイな音が良いのかと何度も自問してみる。しかしやはり聴いていて楽しいのはハイファイで、クリアで透明度の高い音のほうである。
亭主は本当に「雰囲気の良いDAC」が欲しかったのだろうか?単なるデジタル偏重主義、盲目的なハイファイ指向に逆らってみたかっただけなのではないだろうか?
世の中も、また亭主もハイファイな音が好みであり、CD、CDプレーヤから連綿と続く低ノイズ、高音域への(業界としての)挑戦は、いまやハイファイオーディオをごくごく当たり前のものとしてしまった。高音質・低価格のDACやヘッドフォンアンプが電気店で簡単に手に入り、かつては数十万円・数百万円を投資なければ聴くことが出来なかった高音質サウンドが、いまや学生にも普及している。
では、亭主の言うところの「雰囲気の良いDAC」の「雰囲気の良い」とはどのようなものだったのか?
まったく具体性に欠けるたとえ話で恐縮だが、たとえば「えび天」はさくさくの衣が美味い。しかしときおり、丸亀製麺などでツユに浸した、しっとりの衣のえび天が食べたくなる。天ぷらの王道からすれば衣はさくさくであるべきだが、しっとりの衣の需要は確かにある。さくさく感を損ねても、食べたいしっとりは確かにある。
「雰囲気の良い」音はどうやって出したらよいのだろう。さくさくの衣に対するしっとりの衣は、音にたとえることができるのだろうか。
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