亭主が始めて秋葉原に行ったのは、おそらく高校生の頃。
父親に連れられ、夜、多くの店が閉店しようとしている秋葉原に行ったことを記憶しています。
秋葉原駅前にナカウラというアンコウがトレードマークの電気店、その2階にパソコンソフトの売り場があって、そこでFM-7/77用のソフト"F-15 EAGLE"というゲーム(フライトシミュレータ)を購入しました。残念ながらこのF-15 EAGLEというゲーム、当時のパソコンゲームのレベルからみても相当に難易度が高く、亭主自身ゲームを楽しむまでには行きませんでしたが・・・秋葉原に行って買った初めてのソフトということで大変に思い出深いタイトルでした。
現在の秋葉原は、メイドとアニメとフィギュアの街に変貌していて当時の面影はほとんどありません。これについては特にいうこともなく、(以前に書いたように)街は人とともに変わっていくものなのでしょうから、いまある姿というのがもっとも今を「それらしく」反映していると、前向きに捉えたいと思っています。
今回は、そんな話ではなくてですね。
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実は亭主、初めて秋葉原に行ったときのことを、上の情景とソフト以外に覚えていないのです。
秋葉原以外のどこにいったのか、そもそも何の用事で行ったのかを、まったく覚えていません。かろうじて父親の車に乗って行った事だけは覚えているものの、そもそも弟はどこにいたのか、母親はどうだったのか、まったく記憶にないのです。
東京に行ったのならばそれなりに用事があったはずで、そもそも秋葉原に行ったのもなにかのついでだったはず。ついで以外のことを一切合財忘れ、ネオン輝く秋葉原の町並みと、買ったソフトしか覚えていないとはどういうこっちゃ。
さらに思い返してみるに亭主、そのほかの機会に東京を訪れた際の記憶もほとんど無いことに気がついて愕然としていたりします。
親戚の家で出前の寿司を食べ過ぎて腹を壊し、叔母が薬局に胃薬を買いに行っている、だの、
東京タワーに上ろうとしたらエレベータが大行列で、みなで外の階段を使って歩いた、だの、
一つ一つの強力なイメージは残っているものの、前後の記憶がごっそりと消えていて、一日単位でのお話にならないのですね。
かつてあったことが、あったはずのこととなり、まるでなかったことのように、あたりまえのように消えていく。亭主自身妻に忘れっぽい、言うことがそのたびに違う、いい加減だ、無責任だ、と散々なじられていますが、古い記憶の中には、本当に忘れてしまって思い出せないことがたくさんある。
このままどんどんと、なかったことになっていくことに一抹の不安と恐怖を感じる今日この頃なのでありました。
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