そもそも大学に入学して、なぜ大学から2時間も離れた浦和に通っていたかといいますと、当時浦和に長野県の学生寮がありまして、そこにご厄介になることになっていたのですね。
確か家賃は月額14000円で、当時としてもかなり安かったほうだと記憶しています。
もっとも、通学のために定期券は必須(JR+東武野田線)でしたし、自転車も必要でしたし、一日4時間強の時間を通学に費やさなければなりませんでしたから、全体のコストとしては消して安くはありませんでした。定期券を落として青くなったこともありました。
寮の食事は別料金で、お金のないときは寮の食事を削って、カップ麺やパンなどで済ませたこともありました。もっとも寮の食事はけして美味しいというほどでもなく、しかもカロリーばかりあったので、運動をしない亭主、寮に入って2年で体重が8kgも増えてしまいました・・・
周辺には長崎ちゃんぽんリンガーハットだの、怪しげな食堂(となりは小さなゲームセンター)だのがありましたが、寮の周辺で食事をとることはほとんどなく、浦和駅西口のかめ福(中華そばの店でおいしかった)とか、浦和駅東口の中華料理店(名前失念、今は区画整理でなくなってしまいました、塩ラーメンがおいしかった)などで食べていました。特にラーメンが好き、というわけではなく、学生が一人でも入りやすかったんですね。お金もなかったですから呑みに行くなどということもほとんどなく、駅前のパン屋で50円でもらったパンの耳を水で流し込んだり、親戚からもらった草加せんべいを食事がわりにしたり、夕飯がのど飴だったり、貧乏生活というやつは一通り体験した気がします。
当時は仕送りを月6万円くらいもらっていて、ほかの人に比べて多いか、少ないかはわからなかったのですがとにかくそれをやりくりして生活していました。長距離通学なのでバイトをする時間もなく、しかし食事にほとんどお金をかけずに本と、CDと、パソコンソフトに使っていました(今考えると大変にすまんかったです)。当時はとにかく、読書にせよ音楽にせよ、目に入るもの耳に入るもの、すべてが新鮮で、楽しかったんですね。浦和は京浜東北線一本で東京に出られますから、秋葉原や神田神保町に行くのを楽しみにしていました。もちろん浦和にも古本屋やCD店がたくさんあり、様々なところにでかけては掘り出し物を探すのも楽しみでした。言葉のとおり寝食を忘れて情報をひたすらに取り込み続けたといってもいいかもしれません。
それでも8kg太ったんですから・・・不思議だ。
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