歳をとったからか、最近は飲み会もずいぶんおとなしくなりました。
飲んだ後吐いたり、意識を失ったりすることも無く、極めて常識的な範囲でお酒を楽しんでいます。その昔は調子にのって大量に飲み、会費の元をとろうとたらふく食べていました。ただ最近はビールを中心に、おつまみをちょっと食べる程度。実は今日も飲み会で、瓶ビールにして一本分とお刺身を5枚ほど食べて帰ってきました。理想はお酒だけ、おつまみなしと行きたいところですが、やはり飲み会をセッティングしてくれた人、料理をしてくれた人の労をねぎらいたいと思い少しだけ口にするようにはしています。
飲む量もですが、1回に飲むお酒の種類も減りました。基本はビール、あとはウィスキーまたはジントニック(ジンライムも可)。日本酒は悪酔い・二日酔いになるので、自宅で熱燗を楽しむ以外には飲みません。焼酎・サワー類は二日酔いにはならないものの、口当たりが良すぎてついつい飲みすぎてしまうので自粛しています。
お酒はほどほど、おつまみを食べず何をしているかといえば、やはり会話が楽しいのですね。
亭主の参加する飲み会は、比較的にぎやかで、明るいものが多いので、人の話を聴きながらお酒を飲むのが実はとても楽しかったりします。亭主を含めて、酒癖の悪い人、というのも居ないように思います。以前に比べると飲めない人も増えているので、あまりハメをはずしすぎる人もいないのでしょう。
この日も飲み会は7時でおしまい、自宅に帰れば8時と、普段の残業くらいの時間に帰る事ができました。
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学生時代はそもそも「酒」とは何かをよく把握していなかったので、一人のみ、あるいは少人数飲みではかならず「サントリーレッド」を買っていた。
レッドを買っていた理由は至極単純、「安かったから」。当然味などというものはわかるはずも無く、(以前にも書いたが)子供の頃飲んでいた銘柄、というだけの理由で選んでいたのを思い出す。
仲間内で飲むときは、かならず何らかの「話題」を元に飲んでいて、それこそ自分の悩みであるとか、スキな女の子の話であるとかを酔いに任せて語るのが通例だった。酒の力を借りて本音を言う。一種の癒しというか、浄化のようなものだったのかもしれない。
当時はどちらかといえば自分を隠して生きてきたので、酒の力を借りてでも本音が言える場があることは、それなりに大事なことだった。もちろん本音といっても、人の悪口や泣き言ではなく、どちらかといえば「青年の主張」に近かった。お互いに「青年の主張」をぶつけあうことで、親友もできた。結果的に酒に対して悪い印象はほとんどないままこれまで過ごしてこられたものの、一方で非常に体力を消耗するため(当然)、日々の生活にお酒を取り込むという習慣は結局無いまま現在に至っている。
妻と飲む際には「青年の主張」をお休みして、聞き役に徹している。
妻にとっても浄化・癒しになっているとよいのだが。
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ちなみにおつまみを食べない件、単に体重が気になるからです(^^;)
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