亭主の父親の話によれば、亭主が子供の頃、長野県は駒ヶ根市の中沢という地区に、ある老婆がおりました。
老婆はいつも、その地区にあるつづれおりの坂道の曲がりに立ち、泣きながら坂道を通る車にわめきちらし、石を投げていたそうです。
老婆がいつからそこにいたのか、あるいはいつまでそこにいたのかはわかりません。しかし当時老婆がそこにいて、泣き叫びながら車に対して石を投げつけていたという話を亭主は明確に記憶していて、免許を取ってその辺りを通る際にはいつもその話を思い出していました。
老婆がなぜ泣き叫びながら、車に対してわめき、石を投げていたかはわかりませんが、なにか理由があったものと思われます。たとえば子供を車で亡くしたなどの理由から車に恨みを持っていたならば、老婆の怒りや悲しみは我々にも充分に理解できたことでしょう。
年月は経ち、老婆はその坂道からいなくなりました。しかし現代のネット社会には、公道たるネットのコミュニティの中で泣き叫び、わめきちらし、石を投げる人がいくらでもいるようです。しかも「老婆」などというある種都市伝説じみたシチュエーションではなく、成人として充分成熟し、社会で活躍し、社会的にそれなりの地位にある人間が、なりふり構わずコミュニティで怨嗟の声を上げているのです。
彼らを目にするたびに亭主は子供の頃父親から聞かされた老婆の姿を思い出し、そして遠く過ぎた高度経済成長期の世界と、現代のネット社会が地続きであることをまざまざと実感してしまうのです。
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