今日のクローズアップ現代で終末医療を特集していて、死期を迎えた患者さんに好きな食べ物を供する病院の試みが紹介されていました。
死を目前とした患者さんが所望する食べ物は実に様々。大好きだったバッテラ、白いご飯、あるいは妻と一緒に食べるすき焼き・・・。食べ物には、患者さんの人生が詰まっていて、亭主自身もかなり胸にくるものがありました。
そうだなぁ、自分がもし死ぬとなったら、最後の食事はなににしようか。
浦和のかめ福の五目わんたんチャーシュー麺か、それともひたちなか市一福飯店の刀削麺か、あるいは仙台は太助の牛タンか。
いや、自分が本当に死期を悟ったとするならば、もっともっと自分のルーツに根ざしたもの、家族との楽しかった日々を思い出させるもの、残された人々へのメッセージとして食べたいものを考えるのではないかと思いをめぐらしています。
浪人時代大好きだった、松本のパン屋さんのチーズパン。
同じく浪人時代、土日に食べていたコンビニのソースカツ弁当。
妻と行ったハワイの、カイルアビーチ近くのピザ店で食べた大きなピザ。
子供の頃から大好きだったカレーライス。
祖母が焼いてくれた小麦粉だけのおやき。
実家で作ったお米を炊いた、あつあつのご飯。
なんだ意外とたいしたこと無い、どこにでもある食べ物ばかり。同じものはないにせよ、似たようなものならばいくらでも手に入るものばかり。そんなものは特別でもなんでもないと、笑われるかもしれませんね。
もし自分が死ぬ直前で、たとえば物を飲み込むことすらできないほどに衰弱していたら、何を望むだろう。
初めて飲んだウィスキー、サントリーレッドを口に含ませてもらおうか。
もしかしたらそれだけでも十分に満足して死ねるかもしれません。
うん、それだけでも、いいな。ウィスキーにしよう。
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