亭主が大学の2年間を過ごした浦和の街は、書店と、古本屋の多い街でした。
須原屋という浦和に本店を置く老舗の大型書店では、晶文社をはじめとするハードカバーを多く購入していて、亭主自身浦和でもっとも良く通った店でした。そのほかにも市内には古本屋が多くあって、亭主が覚えているだけでも4件、南浦和にも品揃えの良い古本屋がありました。南浦和の古本屋では高野文子の「おともだち」を買ったと記憶しています。
この2年間は、長い通学時間の中で、とにかく本を読みました。
田舎から出てきたいち学生にとって、周囲の人々の知識のすさまじさはちょっとしたカルチャーショックであり、本好きを自認していた亭主のちょっとしたプライド、高い鼻をいとを簡単にへし折るものだったのですね。
田舎と都会との情報量のギャップを埋め、周囲の人たちと対等以上にわたりあうためには、とにかく本を読まなければならない―――もともと本が好きだったということもあって、浦和の2年間は、あらゆるジャンルの本を読んだような気がします。
気がします―――というのは、とにかく読んだ本のジャンルがめちゃくちゃで、いったいどんな本を読んだのか、正確に覚えていないから。覚えていないということは、結局読んでいなかったのと同じなのかもしれませんが(^^;)浦和での2年間を終えて引っ越す際には、ダンボールにしてかなりの数の本が部屋の中に所狭しと積み上げられていました。浦和に来たときには、セダンの車のトランクに入っていた荷物が、ワゴン車2台分になってしまって―――引越しのために来てくれた父親には大変な苦労をかけました。
引越しはともかく、当時は本当に本と、書店と、古本屋が好きで、休日ともなれば自転車で市内を駆け回り、あちこちの店をハシゴしたっけ。
古本屋がもつ独特の雰囲気、古書が発する独特の匂いは、根暗(こんな言葉も死語になっちゃいましたね)だった当時の亭主の心を落ち着かせ、また思わぬ掘り出し物があるかもしれないと、わくわくさせるものでもありました。
その後、千葉や、茨城などに居を移していくのですが、浦和に居た頃のようなワクワク感は、それ以降ありませんでした。
ひたすら孤独だった浦和での2年、しかしその中身はといえば、その後の人生では二度と味わうことのできない、とても充実した2年だったと、いまさらながらに思っています。
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