もう随分前になりますが、浪人して松本の予備校の学生寮に住んでいた頃のお話。
1月から受験シーズンに突入し、寮生たちは全国津々浦々の大学へと受験に赴き、また亭主自身も長野~東京~浦和方面へと断続的に足を運んでおりました。
いわゆる受験旅行・・・といっても亭主の場合はすべて親戚のツテを頼ったもの。最初に浦和市、次に東京都は大田区、そして最後は長野市と、親類の家に泊まっておりました。浦和市の親戚宅に行き最初の学校(私立校・第1志望)を受験したあといったん帰寮、次に大田区の親戚のお宅にご厄介になりさて明日は2番目の学校(私立校・滑り止め)の受験だ・・・とおもったら最初の学校の合格通知がやってきて急遽親戚宅で大宴会(もちろん滑り止めは受験せず)、そのまま国立A日程の試験を辞退して第1志望の学校に進もうとおもったら、親から「お願いだから国立も受けておくれ」と懇願され、しぶしぶ長野市の親戚宅に行きそこでも宴会、受験したらその後こちらも受かってしまったのですが辞退―――と、ほとんど苦労のないまま受験シーズンを終えてしまいました。
寮に戻っても受験旅行で誰もおらず、朝晩の寮食も用意されておらず、3度の食事をコンビニで調達しつつ寮の部屋でひたすら無言で本を読んですごす日々が1ヶ月ほど続いたのを思い出します。
日本語を忘れるかと思いましたよいや実際。
3月の押し迫ったあるときに寮を引き払うことになり、父親が運転するセダンのトランクに荷物をつめて実家に戻ったあとは、弟がかりてきたドラクエ3を朝から晩までやりこんだり、浪人1年間の仕送り(1ヶ月3万円)を貯めたお金でCDラジカセ(SONY DoDeCa-Horn CFD-D75)を買って、ひたすら音楽を聴いておりました。
CDラジカセを買う前はオートリバースなし、デッキ1台のみという質素なラジカセ(たしかSANYO製で7000円くらいで購入)を使っていてまあそれなりに楽しんでいたのですが、新しいラジカセはCDが聴けたり、またそれなりに低音が出たりと音楽を聴くのが非常に楽しみでした。
CDは何を持っていたんだっけな。1枚目が"Solid State Survivor / YMO"で、2枚目が"飛行船の上のシンセサイザー弾き/難波弘之"だったか(2005年8月のどむやCDレビューを参照)。
寮暮らし、アパート暮らしの多かった亭主にとって、強音楽器だったステレオ/ミニコンは高嶺の華で、せいぜいラジカセを使う程度だったことを思い出しました。
それでも充分に楽しかったんだよなぁ。
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