高校生の頃、学校で禁止されていたアルバイトをこっそりやったことがある。
ゴールデンウィークや夏休みに、サービスエリアで弁当の売り子をしていたのだ。
母親の知人からの紹介で、小学校からの友人だったS君をさそってやっていたのだが、とにかく時給が安かったことだけは記憶している。一日おおよそ8時間、サービスエリアの一角にテントを張り観光客向けに幕の内弁当や牛丼を売っていた。たしか時給が200円ちょっと、バイトの帰りに、町役場の前で「最低時給○○円以下で働いていませんか?」「相談は労働基準監督署へ」とかなんとか書いてある張り紙を見つけて、これより低いやとS君とがっくりきたのを明確に覚えている。
何の変哲も無い弁当だったが、そこそこ売れた。幕の内弁当を一日100食仕入れて、お昼を中心に売り切った。そのうちにラインナップが増えて牛丼も併売するようになり、これは幕の内弁当よりも売れた。
いちど、甲子園の応援バスの大集団が通るという情報を得て、サービスエリアのマネージャが牛丼を500食仕入れるという大博打を打ったのだが、悲しいかなバスの大集団はこのサービスエリアを素通りし、大量の牛丼が余ったことがある。
勿体無いから持って帰りなと言われ牛丼をSくんと合計4食もらい、帰りの伊那福岡の駅でそれぞれ1食、帰宅して1食を食べた。
次の日サービスエリアに出勤したら、出勤してくる人がやけに少ない。
聞いたら昨日の牛丼にあたった人が続出して、みな休んでいるのだという。
炎天下の中をほぼ半日放置した牛丼である。あたらないほうがおかしい―――とはいえ、亭主は昨日2食食べ(しかもしっかり夕飯も食べ)たのだから、自分はわりと胃袋が強い部類に入るのだなと確信したのは良い思い出。以来、亭主は食あたりというのをほとんど体験していない。
バイト代は何に使ったのか。ゴールデンウィークの際のバイト代は覚えていないが、夏休みのバイト代でFujitsuのOASIS Lite Sを買った。液晶表示は8文字、漢字変換も単漢字に近く、今考えるとよくこんなもので文書がかけたものだと思うが、当時はこれでも便利に使ったものだ。長文も書いたし、表もつくった。どうやって文書の構成を決めたり、画面をレイアウトしたのだろう。思い出せない。
学校には特に何も言っておらず(禁止されているのだからいえない)そのままシレッとしていようと思ったら、母親が夏休みの通知表に「夏休みはアルバイトにがんばっていました」などと書いてしまい、えらい冷や汗をかいた。
結果的になんのお咎めもなかったのだから、いい加減なものだ。
サービスエリアでは、売店を仕切るマネージャの娘さん(同じ高校のひとつ下だった)が同じくサービスエリアのレジのバイトをしていて、どえらい可愛かったのを思い出した。他のバイトくんたちは同じ学校だった亭主に対してしきりに「○○ちゃんに俺たちのこと話しておけよ」などとアピールしていたが、亭主は当時恋愛にはとんと興味がなく、可愛いなぁと思ってはいたが特になんのアプローチもしていなかった。亭主があまりにも淡白だったからだろう、娘さんにとっては付き合いやすいと見えて、学校や道行きで偶然出会うと、よく微笑んでくれ、ひとことふたこと雑談したものだ。それでも亭主は特にそれ以上どうということもなく。
朴念仁め。
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