高校を卒業し、松本にある予備校へと入学した亭主は、大学入学までの1年間を予備校の寮で過ごした。寮で暮らすにあたり、両親から月3万円の小遣いを仕送りしてもらうことになった。
3万円は主として昼食代、文房具代、寮の電気代、そして遊興費に充てたのだが、予備校生という身分を限りなく低く見ていた亭主は、寮生活中節制に節制を重ね、予備校を出る3月には10数万円という額を貯蓄することに成功していた。
予備校を出るにあたり、亭主は二つの贅沢をした。
一つは、松本駅前の中華料理店に一人で入り、ふかひれスープをはじめとした高級料理を食べた。
もう一つは、これまで使ってきたラジカセに代わって、駒ヶ根市内の電気店でCDラジカセ"SONY DoDeCaHORN CFD-D75"を購入した。
当時、DoDeCaHORNの売りは「低域の量」だったと記憶している。スピーカユニット背面から音響迷路を経て前面へと発せられる低音は、たしかにこれまでのラジカセとは一線を画する迫力だった。あとで思い返してみると、BoseのWaveradioやサブウーファで使われていたアクースティマス理論のパクリ・・・というか類似品だったような気がする。もっとも、当時においてもバスレフ方式やバックロードホーンなどの低音再生技術は普及していたから、SONYとしてはこれら技術の応用編と位置づけていたのだろう。いずれにせよDoDeCaHORNの音は、これまで亭主がもっていた貧相なラジカセとは比べ物にならないほどの魅力を有していた。
DoDeCaHORNのこの機種のもう一つの特徴は、CDを立てて再生していたことだろうか。(これも当時聞いた話だが)CDを立てて回転させることでCDが重力の影響で下にたわむことを防いで、高音質な再生が実現したのだという。これについては亭主もよく分かっていない。ただいえるのは再生中にCDのイジェクトボタンを取り出すと、CDが回転しながら飛び出てくる、ということだ。
使用中は格段の故障もなく、結局大学4年までなんだかんだで使い続けた。最後はバイト先の事務員さんのラジカセが壊れたというので、1000円で売った。事務員さんは冗談のつもりで1000円といったらしいが、出てきたラジカセが以外にも綺麗だったため相当恐縮したようである。
ラジカセなのだから音質は推して知るべしだが、亭主にとっては個人でCDを再生し楽しんだ、思い出深い機種であった。
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