長期出張と称して3ヶ月ほど岡山県は新倉敷に居たことがありまして、朝から晩までホテルと事務所をいったりきたり、納期は迫るし仕事は進まないし、それはもう大変だった時期だったと思われるのですが―――思い出されるのは仕事の合間に岡山市に知人に会いにいったり、新倉敷の町を散策して回転すしを食ったり電気店に行ったり、本屋に行ったりという楽しい記憶ばかりなのでありました。
突然現場で呼吸困難を起こして倒れたり(おそらくストレスでしょう)、一ヶ月に280時間の残業をして給料の手取りが80万円を超えたり(液晶ディスプレイを買いました)、仕事がたまたま早く終わったからとCDハウスジュピターに行ってオーディオ談義をしたりと、忙しいながらもそれなりに楽しんで仕事をしていたように思います。
当時は若かったし、自分と、ほんの少しの自分の荷物以外に守るものもなかったし、そもそも生きる目的なんてものもありませんでしたし。
惜しむらくは当時もう少し見識や知恵や経験があり、筋の悪い仕事を丁重にお断りすることができたなら、少しはましなことになっていたのではないかと思うのですが、給料でいろいろな買い物が出来たのも、長期出張と称して岡山を満喫できたのも、またそもそもここでこういう話が出来るのも、当時の自分と、自分の未熟さがあってのことなのでしょう。
何が良くて、何が悪いのか、判断はそれが終わってから初めて出来るもので、物事が進んでいるときにそれを判断するのは難しい。
お祭りのまっただなか、神輿が断崖めがけてつっぱしっているときに、お前らそっちは断崖だよといったところで、いいから神輿を担げと怒鳴られるようなもの、とでもいいましょうか。
人生は選択の連続だ、などと良く言いますが、実際には選択の機会など意識できず、常に無意識にその場その場でよさそうな方向へと進んでいるに過ぎない。
今、辛い思いをしている人に対して「いつか良い思い出になるから」などと、言ったところで何の解決にもならないのでしょうが・・・亭主的には、過ぎてしまえば、乗り越えてしまえば良い思い出になってしまうようです。あとは辛い思い出を、見識や知識や経験として、前向きに蓄積していけるのなら、おそらく良い未来が待っていると期待しています。
自分はそもそもストレスに弱く、体力的にも弱い人間かと思っていたのですが、思い返してみれば結構修羅場もくぐってきたし、それなりに楽しくやってきたなぁと思えばこそ、これからの人生に希望が持てるというものなのでしょう。
個人的なアドバイスとして「若いときの苦労は買ってでもしろ」はちょっとちがうかな。
むしろ「とにかくやれとりあえずやれ」かな。
誰に言ってるか解りませんが、がんばってください。
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